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京都地方裁判所 昭和31年(ワ)1124号 判決 1961年12月04日

原告

葛西定治郎

被告

相互タクシー株式会社

主文

被告は原告に対し金一、三四五、〇〇〇円及びこれに対する昭和三一年十二月七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は之を二分し其一を各自の負担とする。

この判決は第一項に限り、金四〇〇、〇〇〇円を担保として供するときは仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金三、六七八、二四六円及びこれに対する昭和三一年十二月七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並に仮執行の宣言とを求め、その請求の原因として、

「一、訴外山下光雄(以下単に山下という)は、昭和三一年二月一七日午前八時二五分頃、被告会社所有の小型乗用車を運転して、京都市右京区西院上花田町三条通路上を山之内より三条口へ向つて時速約四〇キロで東進し、同町三九番地先路上に差掛つた際、偶々その時自転車に乗つて同一方向へ進行中の原告の三男博光(当二十年)を前方に発見し同人を追越そうとしたのであるが、かゝる場合自動車運転手たる山下としては、自転車との距離、間隔に留意するは勿論、博光が何時その方向を転じ自己の進路を横切らんやも測り難いのであるから、警笛を吹鳴して同人の注意をかん起し、速力を減して何時でも急停車その他適宜の措置をとり得る様、事故防止につき細心の注意を払うべき業務上の注意義務があるにも拘らず、これを怠り漫然同人を追越そうとした不注意により、偶々博光が急遽右折して自動車の前方へ出たため、急停止措置をとつたが避け得ず、同人の自転車に自己の運転する自動車左前部を激突し、同人をその場に転倒させ、よつて同人に頭蓋骨骨折、脳底骨折等の重傷を負わせ、同日午後九時十分、京都第二赤十字病院において死亡せしめるに至つたものである。

山下は被告会社の被用者であり,右事故は山下が被告会社の被用者としての職務執行中たる客を乗車せしめて賃金を得る為流していた際に惹起したものであるから、被告会社は本件事故につき使用者として損害賠償責任を負うべきものである。

イ、亡博光は右山下の不法行為により金三、三四六、三一一円の財産上の損害をうけ、原告は博光の死亡により其父として又唯一の相続人としてこの損害賠償請求権を単独相続したものである。即ち博光は昭和一〇年七月二三日原告の肩書地において三男として出生し昭和二六年三月大阪市立十三中学校を、同二九年三月大阪市立扇町高等学校を夫々卒業し、同年四月厚生省指定レントゲン技術専修学校に入学(修学年限二年)、同三一年三月卒業見込で、卒業後は三重県立医科大学附属病院へレントゲン技術員として就職することが確定していたところ本件事故により死亡したものである。

博光は通常の健康体であつたから、少くとも昭和六〇年末までは勤務し得べく、前記病院では技術員として本俸五級三号給を給される筈であり、その後通常の進級昇格を経て昭和六〇年末まで勤務したとするならば、その間の各年別収入は別表a欄記載のとおりであり、又退職時には退職金七三一、一三二円を給される筈であつた、よつて前記各年別収入から博光自身の生活費年間一二〇、〇〇〇円を控除し、ホフマン式計算法によつて年五分の割合による中間利息を控除した金額は金三、〇五三、八五九円となり、これに前記退職金を同様右計算法によつて計算した金額金二九二、四五二円を合算した金三、三四六、三一一円は得べかりし利益の現在一時に支払を受ける場合の金額として、被告に対しその賠償を求め得るものである。

ロ、博光は原告の三男であるが、長男幸逸(昭和二三年一月二五日死亡)、二男成和(昭和二四年六月二九日死亡)、長女道子(昭和二〇年九月二七日死亡)は既に亡くし、原告の四人の子供の中唯一の生存者であり、従順で孝養心も深く、学校の成績も優秀であつたので、原告は博光の不慮の死によつて筆舌に尽し難い精神的苦痛をうけた、従つてその慰藉料として金三〇〇、〇〇〇円の損害賠償請求権を被告に対して有するものである。

ハ、原告は本件事故により、博光の入院治療費として金六、三二五円、葬儀及び供養費用として金二五、六一〇円、右計金三一、九三五円の財産上の損害をうけたから、被告に対しその賠償請求権を有するものである。

二、原告は被告に対し以上述べたイ、ロ、ハ、の合計金三、六七八、二四六円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日たる昭和三十一年十二月七日以降完済にいたるまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである」

と述べた。(証拠省略)

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として、

「原告主張の事実の中、被告会社の使用人(自動車運転手)である山下が、原告主張の日時頃、本件事故を惹起したこと、ならびに右事故により訴外葛西博光が死亡したことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。

本件事故につき山下の過失はない。」

即訴外博光は京都市右京区三条通を東行中急に何等の合図もなしに右折したものである。車馬又は無軌条車が右折せんとするときは右方車体外に右腕をのばすべきことは交通法規に明記するところで又現に車馬運行車により実行されているところである。

それにも拘らず右博光は何等の合図をしないで突如右折せんとして本件事故を発生せしめたものである。又博光は京都市右京区西院春栄町にあるレントゲン技術専修学校え通学せんとして三条通を右折中の橋通り若くは其東側の南北の通りを南行せんとしたものと考えられるが斯る場合目的通路に至る手前二十米乃至二十五米より徐々に右折するのが当然である。

然るに右博光は中の橋通りを過ぎること十二、二米の路上に於て急に漫然と右折せんとしたものである。且其南側には通常の人家なく単に京都市の倉庫があるのみで通常第三者に於て右折南行するが如きことを予想し得ない場所である。斯る場合前記のような手合図をなすは勿論後行者に右折の表示を明白になすべきは勿論右折につき後続車がないかどうか又は後続車に差支がないかどうかを後方を充分注視した上で右折するのが当然である。それにも拘らず博光は漫然として突如右折せんとしたものである。

又本件事故に於ては後行自動車の運転者たる山下は数回に亘り警笛を吹鳴して博光に其後続の事実を知らしめている。当時前記道路には通行量少く当然前記山下の警笛の吹鳴は訴外博光にも覚知せられたものであり且覚知せられるべきであつたにも拘らず博光は後続車の存在を全然無視して急に右折南行せんとしたものである。

訴外山下は三条通りを博光の自転車に追随して東行中本件事故を起した地点に於て右自転車を追越さんとしたものであるが其走行速度は時速約三十キロであり制限速度にも違反していない。又追越に際しては再三警笛を吹鳴して博光の注意を喚起している。従て本件事故については訴外山下は無過失であり被告においては其損害賠償の責任がない。仮に百歩譲り山下に過失があつたとしても博光については前記のような重大な過失があるから之が損害の賠償につき其責任及損害額の決定につき斟酌さるべきである。

と述べた。(証拠省略)

理由

一、葛西博光の死亡は山下及び博光双方の過失の競合によるものである。

先ず博光が昭和三一年二月一七日午前八時二五分、自転車に乗つて通行中、京都市右京区西院上花田町三条通路上において、山下の運転する小型乗用車と衝突して頭骨骨折、脳底骨折の傷害をうけ、因つて同日午後九時十分に死亡したことは当事者間に争いがない。

そこで本件事故が山下の過失に基くものであるか否かにつき考察するに、成立に争いのない甲第一〇号証の一乃至三、同第一〇号証の七乃至八、同第一〇号証の一〇乃至一二、乙第一号証の一、同第二乃至第五号証、同第九号証の一、ならびに証人山崎勝治の証言を綜合すると、山下は小型乗用車を時速約三〇キロ以上で運転して、前記道路(舗装、巾員一七、五米)に布設された京福電鉄嵐山線の東行電車軌道上を東進し、右京税務署北側に差掛つた際、前方約二七米の東行車道の前記軌道寄り(同軌条北端から約二米の間隔を保ち)を、自転車で同一方向へ進行中の博光を発見したが、当時は早朝のこととて、同所附近は交通量も少く、同人の前後は他に通行の車もなく、反対側軌道、車道にも電車、自動車を認めなかつた。

山下はそのまま進行して同人に接近したが同人の後方約一二、三米の距離で警笛を鳴らしたが同人が後を振り向くとか、車道左側へ避譲する等接近する自動車に気付いたと認められる何らの挙動も示さなかつたにも拘らず、同人との間隔が、約二米あるから安全に追越し得ると軽信し、そのまゝ直進して追越そうとしたのであるが、その追越のため接近する自動車を覚知していない同人が右自動車が右約二米後方に迫つてから、葛西博光は突然右折して来たため山下は急停止措置をとつたが之も及ばず、自己の運転する自動車の左前照灯附近を該自転車に衝突させたものである、と認められる。

甲第一〇号証の九、甲第一〇号証の二、乙第七号証及び同第八号証並証人山下光雄の供述中、右認定に反する部分は、前掲証拠に照してにわかに採用し得ず、又他に右認定に反する証拠はない。右に認定した事実によれば、山下としてはかゝる場合繰返し警笛を鳴らして自動車の接近を博光に注意し、同人がその接近を覚知したことを、確認して尚、充分に減速して何時でも急停止し得る態勢で追越すか、反対方向に車がなかつたのであるから、多少ハンドルを右に切つてわん曲する様な状態で追越す等、不測の事故を未然に防止し得る様細心の注意を払うべき業務上の注意義務があるといわねばならず、これを怠つて漫然と直進した点に過失がある、他方被害者博光としては、緩行車たる自転車で通行するには、原則として車道左側を通行すべき注意義務があり、又右折する場合は前後の車の有無を見極めて安全を確認してから、合図をして右折すべき注意義務があるところ、これを怠つて車道右寄りを通行し、前後の安全を確かめずに突然右折した点に過失があるといわねばならない。

以上のとおり、本件事故は山下及び博光双方の過失の競合によつて惹起したものである。

二、被告会社は本件事故によつて生じた損害を賠償すべき責任がある。

被告会社が山下を自動車運転手として雇用し、山下が被告会社の被用者として、その業務執行中たる車を流していた際本件事故を生ぜしめたものであることは、当事者間に争いがない。

ところで、被告会社は民法第七一五条但書所定の免責事由に該当する何らの事実の主張、立証もなさないから、本件事故によつて博光及び原告がうけた損害につき、山下の使用者として、その賠償をなすべき義務がある。

三、損害額

1(イ)、そこで本件事故によつて被害者博光のうけた損害額について考察する。

成立に争いのない甲第二号証乃至第五号証ならびに証人熊野末三郎、同田口光雄の各証言によれば、博光が昭和一〇年七月二三日原告の三男として出生し、昭和二六年三月大阪市立十三中学校を、同二九年三月に大阪市立扇町高等学校を夫々卒業し、同年四月厚生省指定レントゲン技術専修学校に入学、同三一年三月卒業見込であり、卒業後は三重県立医科大学附属病院に、同年七月二三日からレントゲン技術者として就職することが確定していたものであることが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

次に三重県庁へ嘱託した調査の結果によれば、博光がレントゲン技術者として、前記病院に就職した場合、同年七月二三日以降昭和六〇年末までの三〇年間における同人の各年別収入推定額(税金、共済組合掛金等控除後のもの)は別表a欄記載のとおりであり、又退職金(三〇年後の)額は金七三一、一三二円であるが、成立に争いのない甲第二号証、同第四号証の二及び原告本人尋問の結果によれば、博光が死亡当時満二〇年の普通の健康体を有する男子であつたことが認められ、その将来の生存年数が四六、四年を下らないことは最高裁判所事務総局作成の第九回生命表により認められ、原告主張のとおり少くとも就職後三〇年間は勤務し得ることが明らかであり、昭和三一年七月一一日以降同六〇年末までの同人の総収入は、前記別表a欄記載の各年別収入の総計額及び前記退職金額と認められる。

ところで、原告は博光が右収入を得るについて必要とする生活費として、年間一二〇、〇〇〇円を控除することを主張しているけれども、通常の場合生活費は収入に応じて増加するものであるから、一率に年間一二〇〇、〇〇〇円をもつて生活費と解することはできず、むしろその収入の六割を最少限度生活費として必要とみるのを相当とする。

そこで前記各年別間収入から、その六割を生活費として控除し、更に中間利息年五分としてホフマン式計算方法によつて、事故当時の一時払額を算定すると、前記別表a欄記載金額の総計額金二、〇六六、八三二円である。

又前記退職金についても同様ホフマン式計算方法による事故当時の一時払額を計算すると金二九二、四五二円となる。

従つて右合算額金二、三五九、二八四円が、被害者博光の事故当時の損害額である。

(ロ)  次に本件事故により原告のうけた精神的苦痛に対する慰藉料額について判断するに、成立に争いのない甲第一号証ならびに証人熊野末三郎の証言、原告本人尋問の結果によれば、原告はその長男、二男、長女を既に早く亡くし、又妻も昭和二一年に失つて博光は唯一の子供であり、唯一の身内であつた、又原告は高校、職業教育と同人の教育に意を用い、やうやくレントゲン技術も修めさせ、就職も確定してその将来を楽しみにしていた矢先の事故による死亡であり、又更に、同人は非常に温和、真面目な性格であつて、孝養心も厚かつたと認められる。

以上認定した事実を綜合すれば、原告のうけた精神上の苦痛は甚大にして其慰藉料の額としては金三〇〇、〇〇〇円が相当である。

(ハ)  原告が本件事故によつて受けた財産上の損害についてみるに、原告本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認められる甲第六乃至第八号証ならびに原告本人尋問の結果によれば、原告は博光の入院治療費として、昭和三一年二月一八日金五、九五五円を、その他自宅と病院間の交通費等として、金一、五七三円を、更に通夜の費用として金一、五三五円を夫々支出し、同月一九日に葬儀費用として金一一、七八〇円を、同月二二日から三月七日までの間の諸供養費として金一一、〇九二円を夫々支出しており、これらの出損はすべて本件事故によつて支出したものと認められるから、結局原告が本件事故によつてうけた財産的損害額は右合計金三一、九三五円である。

2、ところで、前記一、において述べたとおり、本件事故は山下のみの過失によるものではなく、被害者博光の過失が競合した結果惹起したものであるから、前記(イ)乃至(ハ)において認定した現実の損害中、被告に対して賠償を請求し得る額は、右の過失を斟酌して、夫々(イ)の博光のうけた財産上の損害として金一、一八〇、〇〇〇円(原告が右損害賠償請求権を単独相続したことは甲第二号証によつてこれを認める)、(ロ)の原告の慰藉料として金一五〇、〇〇〇円、(ハ)の原告自身の財産上の損害として金一五、〇〇〇円とするを相当とする。

四、以上の理由により、被告会社は原告に対して、亡博光のうけた財産上の損害賠償として金一、一八〇、〇〇〇円、原告自身の慰藉料として金一五〇、〇〇〇円、原告自身の財産上の損害賠償として金一五、〇〇〇円、以上合計金一、三四五、〇〇〇円ならびにこれに対し本件訴状送達の日の翌日たる昭和三十一年十二月七日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があることは明らかであるから、右の限度において原告の請求を認容し、原告その余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を夫々適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山中仙蔵)

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